「小国日本の歩むべき道」
[URL]
を書いたことがきっかけとなって、故森嶋通夫の本を読みなおしている。森嶋のことを知らない人のために彼に関する英文版と日本版のWikipediaの記述の冒頭部をまとめると、こんな感じになる。
<森嶋通夫(1923年7月18日〜2004年7月13日)大阪府生まれの経済学者、専攻は数理経済学と計量経済学。一般均衡理論、経済思想史、資本主義経済論に関心。1970年〜88年まで
London School of Economics (LSE)のSir John Hicks Professor of Economics。大阪大学名誉教授、British Academy(イギリス学士院)会員。>
学者としての人生の過半を英国で過ごした森嶋は、日本人の社会科学者としては珍しく、「日本解釈」によってではなく、経済学の一般理論に関する研究を海外で行い、結果を海外で発表し続け、世界の学会で認められ、ノーベル経済学賞級の業績を残した人物だ。
森嶋は経済学に関する著作はもっぱら英文で著したが、1977年に岩波新書から出した「イギリスと日本」以降、積極的に日本の一般的な読者の啓蒙のための文章を雑誌や本で発表していた。「イギリスと日本」は現在47刷を続けるロングセラーだ。発刊当時「日本もイギリス病にかかればよい」と言うメッセージを含んでいたため、イギリスを「沈み行く老大国」と揶揄して考えるのが一般的になっていた当時の日本人にとっては衝撃的な内容の本だったが、1970年代初頭のイギリスに留学したことのある私にとって、この本のイギリス観は当時の私のものと心地よいほどまったく合致していた。
森嶋の言う「英国病」とは
<少数精鋭で育成された、自分で論理的に考える頭を持ち、必ずしも「経済的な成功を至上の目標」と考えない価値体系を持った人たちの価値観が支配的な社会の状態>
とでも形容すればよいと思う。
もうひとつこの本で森嶋が指摘していた重要な点は日本は製造工業国を卒業すべき段階に来ているという認識に基づく
<日本がこれから挑戦しなければならない課題というと、まず第一に、物をつくることでなく、物をつくる方法を生産する(科学、発明)ということがあります。(「イギリスと日本」p 190)>
という指摘だ。英国病羅病はこの方向に日本を導くための方法として登場する。
もっとも、その後のイギリスの状況を見ると、イギリスは日本ほどではないが大学を増産し、なかんずく「経済的な成功を至上の目標」とするアメリカ流のビジネススクールが増産されるに至った。直接実業の役に立たない学問を教育する象牙の塔の象徴であったオックスフォード大学やケンブリッジ大学にも、アメリカのビジネススクールに比べればかなり小規模ではあるが、ビジネススクールができた(オックスフォードのSaid Business Schoolは1996年、ケンブリッジのJudge
Business Schoolは1989年にそれぞれ開学)。つまり英国は英国病脱却の方向に舵を切ったわけだ。
1986年に英国の金融自由化であるBig Bangがおきると世界の金融の中心としてのロンドンの地位が急上昇し、1990年代を通じ2008年の金融バブル崩壊まで、金融を中心とした高付加価値のサービスを核として英国経済が急成長し、その過程でイギリス人がけっして「『経済的な成功を至上の目標』と考えない価値体系」を持っていたわけではなく、耐乏生活と揶揄される、或いは英国人自身が自嘲的に語っていたそれまでの姿は「低成長経済のもと耐乏生活を余儀なくされ我慢していた」ということがわかったのである。
おそらくその認識もあって、森嶋は晩年の著作で、日本人の若者を英国病患者にしろという主張はしなくなった。しかし、英国病とは裏腹な「お受験」指向の画一的な教育システムが更に進み、その結果生まれてきた自分の頭を使った思考をする能力が停止したような若い世代の日本人に接するにつれ危機感が強まって行ったようだ。森嶋は関西のある一流私立大学の大学院で講義した際の経験をもとに言う:
セコメントをする