2010-02-12
<しかし学生たちは真面目に講義を聴いた。一生懸命に聴いていることは私にも、ひしひしと伝わった。しかし二、三の学生を除いて彼らは質問をしなかった。議論らしい議論が私との間に、また彼ら同士ですることは殆どなかった。
例外の一人は女子学生であった。他の女子学生よりも学生らしい雰囲気を持った人だったので話しかけると、台湾から来た人であった。
(中略)
試験の代りに私は彼らにエッセイを書かせた。彼らは、問題をつくり上げ、それを分析したり議論するという学生が心得ていなければならない技術に無知だった。だからエッセイは小学生の書く綴り方と殆ど変わりなかった。(「なぜ日本は没落するか」pp 50-51)>
ちなみに「熱心に聴講するが質問が出ない」というのは私が自分の勤め先(それなりに大きく、入社試験の倍率も高い日本の有名企業)の社内セミナーで講師をしたときの経験と同じだ。私の場合そのようなことも予想して、試みにこちらから任意の出席者に質問をしてみたりしたが、概ね「今日は準備してきていないので」とか言って逃げられた。積極的に質問してきたのは子会社に勤める中国人の社員くらいなものだった。社内でレポートを書かせると事実をそのまま書いているうちはさておき、多少分析を伴う議論になるとおよそ論理もへちまもあったものではない文章が出てくるので、このあたりの私の感覚は森嶋とまったく同じだ。
森嶋の本を読んでいると、晩年の彼が日本の行く末に対する強い危機感を持っていたことがわかる。しかしさまざまな事例を見ていると科学的な構想力を70歳代以降維持するのは困難だ。晩年の森嶋の著作は同じことの弾きなおしが多く変わり映えがしないので、引き続き「なぜ日本は没落するか」を使ってもう少し論を進めてみよう。
「なぜ日本は没落するか」で森嶋は2050年の日本を描いてみせる。予測の手法は極めてオーソドックスに著書が書かれた当時の日本の人口構成に基づいた2050年の人口構成の予測をするところから出発する。ただその予測を展開するに当たって、著書が書かれた当時の日本の人口構成に世代ごとの考え方や行動、そして上述の日本の教育のありように対する彼の考え方を踏まえた展開を行っている。その結果彼は、人口の減少もさることながら
<このような現実を見ると悲惨である。しかし私たちは、このような現実の彼らを前提にして、50年後の彼らの人生の絶頂期に彼らはどんなリーダーになっているかを推論しなければならない。(同書 p 52)>
という諦観に到達する。ここまでの分析は、経済学者が良く使うother conditions being equal(他の条件にして等しければ)と言う前提付で非常に正しい見通しだと思うが、状況の打開策としての彼の処方箋の東北アジア共同体論になってくると
<私の提唱する「東北アジア共同体」は幾つかのブロックからなるもので、中国を例えば6ブロック、朝鮮半島と日本を各2ブロックにそれぞれ分け、台湾を1ブロックとし、沖縄(琉球)を独立させてそこに首都を置く。(同書 p 155)>
と言った荒唐無稽な提案が出てくるのでついてゆけなくなる。森嶋が生きていたら「これこそが社会科学的な構想力だ」というだろうが、中国は自国を6ブロックはおろか2ブロックに分けることすらまったく非現実的であるという認識が彼にはなかったようだ。処方箋のあたりでそろそろ森嶋から離れよう。
「このままでは日本の将来は悲惨だ」と言う森嶋の分析を念頭に、2010年現在の世界を俯瞰するとどのような総括ができるだろうか?
セ記事を書く
セコメントをする