「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」再々訪
2013-04-12


映画The Best Exotic Marigold Hotel(邦題「マリーゴールドホテルへようこそ」)の底本となったデボラ・モガッチDeborah Moggach 著These Foolish Thingsを読んだ。

両者の差や類似している部分を語ることで、映画製作者の目と小説家の目との違いを浮き彫りにしてみたい。

映画はインドの首都デリーから約300キロのジャイプールで撮影されているが、小説はデリーから1700キロ南にある近年インドのITの中心地として名高いバンガロールが舞台だ。撮影場所をジャイプールにしたのは、名所旧跡に乏しく発展著しいバンガロールより、名所旧跡が多いジャイプールの方がエギゾチックな撮影効果が上がると撮影者側が判断したためかもしれない。

映画と小説の一番違う部分は、登場人物のインド人の多様さだ。小説にはイギリスに移住してイギリス人の女性と結婚したインド人医師ラヴィ、彼の従弟で「インドでのアレンジをすべてやるから」とラヴィをイギリス人用老人ホテルビジネスに引き込むソニーがメーンで、そしてソニーの勧めで自分のホテルを提供することを許諾するホテルオーナーのミノーが補助線として登場する。ラヴィとミノーを通じて「イギリス人側が皆それぞれ家庭や個人の問題を抱えているにしても、そして『インド人側にはそのような問題がない』と思っていても、インド人側も決してすべてが円満に行っているわけではない」ということが描かれる。

夫婦の倦怠期を迎えているラヴィ、あれこれ切り盛りしすぎて失敗するソニー、出身階層も民族も異なり価値観の異なる妻との不毛な結婚生活からの脱却を求めるミノーと、いずれもそれぞれの問題を抱えるインド側の中年が、これまたそれぞれがそれなりの問題を抱えるイギリスの老人たちを引受けるというのが小説の設定だ。

このあたりインド側が、若く夢ばかり多いホテルの支配人ソニーの家族との葛藤やラブロマンスと、イギリスの老判事が探し当てた昔日の恋人とのつかの間の逢瀬だけの映画とでは話のヒダに差がある。

映画でも小説でも登場する老プレーボーイのノーマンは、小説ではラヴィの義父だという設定になっている。小説のノーマンの方が映画のノーマンよりはるかに厄介な手のやける、ラヴィの神経にさわる存在だ。小説のノーマンはマリーゴールド・ホテルのイギリスの老夫人たちには一切興味を示さず、ピチピチしたギャルを求めてバンガロールの街をさまよう。結局彼はピチピチギャルに遭遇できず、最終的にはソニーの斡旋した男娼との遭遇の結果心臓発作で他界するというのが小説の設定だ(やはり老プレーボーイは頑張りすぎて死ぬんだ)。小説ではこのおかげでラヴィ夫婦の倦怠期が治るというオチがついている。

映画で他界する老判事は若いころジャイプールに住んでいて、その頃の思い出の糸を手繰って町をさまようが、小説に登場するのは子供のころバンガロールに住んでいたBBC放送の元女性解説者だ。小説ではマリーゴールド・ホテルの建物が彼女がその昔通っていた学校で、彼女はバンガロール中を自分が生まれ育った家を探しまわり、今は外国企業の支社になっているその建物を見つけ、当時の門番とも邂逅し、思い出を果たして他界する。

映画では一組の夫婦が別れ、妻の方は帰国し夫の方はホテルのイギリス人仲間の寡婦と結ばれるが、小説と映画で設定が符合しているのはこの部分くらいだ。映画は恋人と結ばれたソニーと恋人相乗りするオートバイが、スクーターに相乗りする老夫婦とすれ違うシーンで終わるが、小説では老夫婦の結婚式の写真を写真技師が若づくりに(インドのことなので結構ド派手に)タッチアップしているところで終わる。


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