シリア情勢から目が離せない
2011-04-23


強権政治を行うため、ハーフェズは1962年に制定された非常事態法をフルに活用した。スンニー派の保守派組織である回教徒連盟(英語ではMuslim Brotherhood)が中心となって1982年にシリア中部の都市ホムスで反乱をおこしたとき、ハーフェズはホムスを砲撃し一説によれば4万人の死者を出して反乱を鎮圧している(ハーフェズがここまで強圧的に反乱を鎮圧した背景にはホムスに駐屯していたシリア国軍のアラウィー派信者の将校たちが反乱側に殺害されたことに対する報復だという説があるが真偽のほどはわからない)。

同じく国内の治安維持のために手段を選ばなかったサッダムとハーフェズだが、両者を対比してみるとサッダムは自分の力を過信して身に余る冒険を何度かやってついにそれが命取りになったが、ハーフェズは自分の力の範囲をわきまえ「損切り」のタイミングをはかるだけの冷静さがあった点が大きく異なる。

アラブの春は民主化運動、つまりは多数派による統治を求める運動であるが故に、この伝統的な秩序維持の手法をゆるがすものだ。現在は強権発動で民主化運動の弾圧にかかっているバシャール政権が倒れるようなことになり、民主的な選挙が行われれば順当に行けばスンニー派出身者が政権を担うことになる。軍を握る強権をもった政権に対抗する唯一の勢力を維持してきたのは回教徒連盟だ。彼ら主導の政権が生まれると、これまで特権を得ていたとみなされる少数派に対して陰に陽に迫害がはじまる可能性がある。

恐らくシリアの少数派に属する多くの人々は今、決してアサード一家の政治手法に賛成しないまでも、アサッド一家の統治のもとで得ていた平和や安定が失われることを恐れ、息をひそめて自分の身の処し方に思いを巡らしているだろう。

ムバラク政権の退場と軍管理下の民主的選挙の道を歩むことになったエジプトで、回教徒連盟が公式には「自分たちは他宗派を弾圧しない」と言って回っているのは、ムバラク政権下ではいろいろ問題があったにせよ人口の9%程度を占めるコプト派のキリスト教徒などの信教の自由が保証されていたからだ。

シリアの行く末が重要なのは、シリアがそれなりに発達した社会であるがゆえに、現在展開中のアラブの春がアサード政権転覆につながった場合、単純に回教徒連盟による政権奪取と少数派の圧迫に結び付かない可能性があることだ。

これがシリアの隣国レバノンのような宗派と部族の微妙なバランスに乗っかった脆弱な秩序の維持に終わるのか、独裁政権打倒という民主化運動のエネルギーに引っ張られて宗派と部族を超える政治が生まれるのか?前者に終わればこれまでの中東の支配構造が多少の混乱と改造を経て維持されることを意味し、後者が実現すれば中東に新たな統治モデルが出現したことになる。

中東の中心にあって、アラブ人の心の中で独特の地位を占めるシリアだけに、アラブの春がシリアでどう展開するのか目が離せない理由はここにある。

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