「戦火のナージャ」「ミスター・ノーバディ」「ブルーバレンタイン」
2011-05-11


連休の間、立て続けに3本映画を見たのでその印象をざっと書いてみたい。

最初に見たのが「戦火のナージャ」(制作2011年。4月16日に封切った日本は何と5月5日に封切った制作国のロシアより早い封切だった!やればできるんだ。原題
Утомленные солнцем 2: Цитадель、「太陽に灼かれて 2:要塞」の意)

原題からわかるように映画は1994年に製作された「太陽に灼かれて」(本邦上映は2001年?)の続編だ。監督のニキータ・ミハルコフはソ連国歌及び現在のロシア国歌の作詞をした詩人セルゲイ・ミハルコフの息子という芸術家の家系生まれのロシアのインテリゲンチャ(知識層)の一員だ。

学生時代には今より頻繁にソ連映画が上映されていたから、何度かソ連映画を見た。ほとんどがロシアの文学作品を映画化したものか、第二次世界大戦の独ソ戦の一局面を描いたもので、ゆっくりしたペースで物語が展開するのが印象的だった。いずれも見た後は内容の是非にかかわらず「映画を見たぁ」というズッシリ感があった。この映画もその「昔懐かしいソ連映画風の映画だろう」と思って見に行ったら予想通りだった。「恐らくアメリカ映画なら2/3以下の長さで同じストーリーを語っていたのだろう」と言う感じだ。

映画の内容などについてはMovie Walkerをはじめあちこちに出ているのでここには書かない。私が印象的だったのは、特権階級といえどもスターリンの恣意でその身分がどうにでもなったスターリン時代のソ連に生きる人々の緊張や諦観の描き方だ。そのような時代の状況やその中で生活する人々の心理を、隠喩を用いずに描くことができるロシアは、政治や思想の解放については中国より数歩先を行っていることがこんなことからも実感できる。

次に見に行ったのはSF映画だと言う理由で見に行った「ミスター・ノーバディ」(2009年制作。原題も同じMr Nobody)

ストーリー展開ははなはだ複雑で、余り論理的に筋を追いかけるとワケが分からなくなる。要は人生いろいろな分岐点があって、どの分岐点でどのような選択をするかで人生の展開が大きく変わる、というストーリーだ。印象的だったのは幼いころの主人公と恋仲になり、ある展開ではその関係が長い間の空白を経て再会を果たし関係が復活すると言う設定の中の配役が「実際の人物がそのまま年を経ればこのようになろう」というくらい適切だったことだ。「戦火のナージャ」では主人公二人(両者の関係は父娘)が実生活でも父娘で、そのため前作の「太陽に灼かれて」を見た人は自然に続編であるこの映画を見ることができるようになっている。このような配役を行った一因は、或いはロシアの映画俳優層が薄いことが理由ではなかったかと思われるが、ドイツ、フランス、ベルギー、カナダ四カ国の共同制作になる「ミスター・ノーバディ」ではそのような懸念は必要なかったろう。

最後に「ブルーバレンタイン」(2010年制作。原題も同じBlue Valentine)を見た

簡単に言ってしまえば「結婚前と結婚後4、5年の夫婦の愛と、二人の間の落差が集積していった結果の別れ」がテーマの映画だ。結婚に至るプロセスや結婚後の二人の生活を丹念に描くことで、そもそも結婚前から二人の間には落差があったこと、しかし女性のほうはそのときのボーイフレンドとの関係に辟易しており、成り行きで「できちゃった」その彼女を包みこんでくれた男性の温かさのなかで、二人の間の落差をみる客観性を失い結婚に進んだ行ったことを浮かび上がらせる。


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