まだソ連と言う国が存在し、世界の東西両横綱のような感じでアメリカと張り合っていた私の高校生時代。ソ連は自国をアッピールするためアレコレ手を尽くしており、その一環として在日のソ連大使館が「今日のソ連邦」と言うカラーグラビアの月刊誌を発行しており、中波で放送するモスクワ放送の日本語ラジオ放送の電波をニッポン放送のすぐそばに飛ばしていた。Moscow Newsという週刊の英字紙が発行されており、これが高校生の小遣いでも十分購読できるくらいの料金で発行されていた。
確かソ連が何回目かの有人衛星を打ち上げたときだ。Moscow Newsに当時のソ連の指導部が一同に会して宇宙飛行士を祝福している写真がでていた。「宇宙飛行士と連絡を取る」といっても机の上に一台の電話機が置かれ、それを介して連絡を取るスタイルなので、話すことができるのは一人だけだ。私が一番興味を持ったのはその電話機の受話器を握っている人だった。彼は横に首相のコスイギンを従えた共産党総書記のブレジネフだった。この写真ほど「ソ連では共産党のトップのほうが政府の首相や国家元首よりえらい」と言うことを高校生にもわかる形で実感させたものはない。
旧ソ連のような党主導の統治形態が残っているのは中国とベトナムくらいだと思っていたが(「選択と集中」
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でとりあげた北朝鮮は金正日個人による独裁体制)、民主党政権が誕生してからの情勢を見ていると、ある程度予想されていたこととはいえ、民主党政権はこのような統治形態に収斂しつつあるようだ。自民党政権下であれば「首相は党の総裁を兼ねていて幹事長は総裁の補佐役」と言う位置づけだったが(イギリスの労働党もこの形態)、民主党では「党の幹事長である小沢一郎が党を抑え、これが行政府の長である鳩山由紀夫首相にあれこれ『要請』を出している」と言う形がはっきりしてきている。
私は民主主義国家の場合、政権与党の長が行政の長に指示するような統治が別に悪いことだとは考えていない。中国共産党のような翼賛選挙で選ばれた与党とは異なり、民主主義国家の政権与党は選挙によって国民に選ばれており、「政権与党の声は国民のマジョリティーの声」だと考えてもよいからだ。国民は選んだ党が思い通りの政治を行わなければ、次の選挙で別な党に投票すれば良いだけのことだ。
もっとも日本の場合選挙区の区割りが人口の分布を反映していないという問題があるが(いわゆる一票の格差問題)、この問題にきちんと対処すればまったく問題なく「政権与党の声は国民のマジョリティーの声」と主張できることになる。
それにしても自民党政権下の日本の最高裁は「衆議院の場合で約3倍以上、参議院の場合では約6倍以上の差が生じた場合には、違憲ないしは違憲状態」(Wikipedia日本版「一票の格差」)などというフザケタ判決を出し続け、「1992年の参議院選挙を最後に、最高裁判所において違憲ないしは違憲状態との判決は下されてない」(同)と違憲状態の実質追認に加担してきたことをみると、日本の司法が立法や行政から独立しているとは到底認めがたい。
脱線したが、その小沢に対するインタービューが1月4日の夜、テレビ東京の「カンブリア宮殿」で放映されたので久々ぶりに日本のテレビをみた。「カンブリア宮殿」でキャスターの村上龍が小沢と対面するのは二回目のようだが、番組を見て受けた印象は
質問の焦点が絞られていないので小沢との一問一答で終始し、村上の質問が手錬の小沢に軽くいなされていた
というところだ。党主導の統治についても、せっかく番組の冒頭のほうで、民主党政権下で陳情が基本的には党に一本化され、それが政府に持ち込まれることになった点を取り上げたにもかかわらず、小沢の「あれはあくまでも党としての要請であって、それをとりあげるかどうかを決めるのは政府」との説明だけで村上はあっさり引き下がっていた。小沢の「党としての単なる要請」と言う言葉を額面どおり受け取る人はいないだろう。
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