結婚式二題
2009-12-30


民主党政権誕生3ヶ月目にあたってのコメントを書こうと思ったが、年末休暇に入ったことでもあり、あまり肩のこらない話を書いて今年は終わりにしたいと思う。

「インド人の知人の息子の結婚式に招待されたので…」といって有給休暇を申請したら、同僚から「いいなぁ〜歌と踊りなんでしょ」といわれたことがある。相手はカラオケ以外はオヨソ歌と踊りなんか関係なさそうな御仁だ。私を招待したインド人の知人はPunjabiパンジャブ人で、パンジャブ人の結婚式は確かに歌と踊りだ。従い会社の同僚の感想は、私が参加しようとしていた結婚式に限っては当りだが、インドの結婚式がすべて歌や踊りというわけではない。

パンジャブ人の結婚式がどんなものか見たければインドの著名な女流監督Mira Nairミーラ・ナイールの2001年ベネチア映画祭金獅子賞受賞作Monsoon Wedding(邦題「モンスーン・ウェディング」)を借りて見ていただければよい。この映画が日本で封切られたのは例によって遅れに遅れて2002年8月だ。そのことはさておき、日本で封切り当時「終わりはインド映画らしく歌や踊りで」といった内容の映画評が散見されたが、ミーラ・ナイール監督はもともと極めて非インド的な(つまり歌や踊りを伴わない)映画を製作する監督だということをこの日本の映画評者たちは不勉強にもご存じないようだ。「モンスーン・ウェディング」の締めくくりが結婚式の歌や踊りだったのは、舞台が首都デリーで、そのデリーに多いパンジャブ人の家庭の結婚を取り上げたからだ。

さて、インドの結婚式は、新郎新婦の家族の社会的な地位にもよるが、おおむね何百枚とか何千枚とかの招待状を配り、何百人もの招待客が披露宴に現れ、さまざまな儀式を伴うので一週間かそれ以上がかりで、という部分は全土共通だ。この儀式というのがインドの地方地方で相当異なり、知人の令息の場合は花嫁が南部のTamil Naduタミール・ナドゥ州出身のTamilタミル人だったので、両者の儀式が合体する珍しいものになった。

パンジャブ独特の部分は新郎が金糸銀糸で飾り立てられた白馬にまたがって新婦を迎えに来る部分。新郎が騎乗する白馬は、ブラスバンドが晴れやかな曲を吹奏し、新郎側の親類、縁者、客が踊りながら結婚式場まで先導する。伝統的には新郎のいる村から新婦のいる村へこの行列が行ったのだろうが、デリーなどの都会では披露宴会場のホテルの前数百メートルをこの行列が通るだけだ。式の後新郎新婦が車に乗って式場から出てゆく。本来なら一定日数の後、ことの次第を両親や親類縁者に報告するため戻ってくるのが、今は披露宴の会場を出た車はあたりを一周してから結婚式の参加者一同の歓迎を受けながら会場に戻ってくる。

タミル・ナドゥ独特の部分はクリシュナ神の結婚のときの伝承にあやかって新郎新婦が一緒にブランコに乗る部分と、新郎新婦がそれぞれの家族や友人にかつぎ上げられてお互いに花輪を掛け合う部分。新郎新婦は徐々に高く担ぎ上げられ、最後に花輪をかけた側が家庭の実権を握るというのが言い伝えだ。

実は知人の令息の結婚に関してここに書いたこと一切は、ニューヨーク南の郊外の式場で行われたことで、飾り立てた白馬、その馬のくつわを取る馬丁の装束、ブランコ、結婚式を執り行うヒンズー教のお坊さん、結婚式から披露宴までの一切を撮影したインド系アメリカ人のカメラマン、すべてアメリカでアレンジされたものだ。「アメリカにおけるインド人社会の浸透ぶりもかくや」といったところだ。


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