Our product is good enough for our market(我々の製品はこの市場には十分なものだ)
2009-06-09


インドがまだ「開放経済」になっておらず、インドの企業が製品輸入をしようとするとlicense Raj(許認可統治)と揶揄されるインドの官僚機構の十重二十重の厳重な輸入審査を経ないと輸入許可が下りなかったころ、機械設備を輸入しようとしているインドの経済人と話をすると、よくこのOur product is good enough for our marketという発言に遭遇したものだ。

当時のインドの街中で走る自動車といえば1950年代のイギリスのモリス・オクスフォード IIIをそのまま移植したアンバサダー
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と、これまた1950年代のイタリアのフィアット・1100Dをそのまま移植したパドミニ
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の二種類しかなかった。トラック・バスは1960年代のベンツのエンジンをそのまま移植したタタの製品と同じく1960年代の英国のレイランドのエンジンをそのまま移植したアショク・レイランド製品しかなかった。確かにインドのような発展途上の国で「少ない資源をあれこれ分散させるよりは、コレという企業に集中させ、残った資金や経営資源は別な分野に投入する」と言うのは一見合理的な産業政策だ。

しかし政府の保護の中で育った産業は国際的な競争力を失う(日本の化学工業はその典型だ)。インドの産業人が「インド市場には十分だ」とする製品の多くは、輸入品から遮断されたインド国内では通用はしても、世界の市場では通用しないお粗末な製品であった。

もの造りをするものが忘れてはならないことは「消費者の感度は鋭い」ということだ。ちょっとした商品の違いや品質や価格の差にはすぐ気がつくものだ。多少の脱線をお許し願いたい。私は2003年に発売された第二世代のプリウスのオーナーだ(勝手にプリウス・バージョン2とよんでいる)。今年5月にプリウスのバージョン3が発売されたので、会社のそばのディーラーで実物に座ってみた。運転席に座った瞬間バージョン2に比べ天井が低い感じがしたのでディーラー氏にそのことを質したら実際そのとおりだった(カタログで見るとバージョン2の950mmに対してバージョン3は930mm)。以前取引していた食器メーカーの人が「同じデザインの商品を原価低減のためちょっと製品品質を落として出してみると、微妙な色の違いなどからすぐ消費者は異なる製品だとわかる。使い勝手が変わったわけではないのに」と言っていたことを思い出した。

別に私の感度が格別に良いわけではない。消費者の感度と言うものはそんなものだと思う。インドの消費者だって同じことだ。

「インド市場には十分だ」と言う言葉はそのような鋭い消費者の感覚を侮るものだ。消費者はよりよい品質の製品がないので、仕方なく「インド市場には十分」な製品を買っていたのだ。

事実インド経済が1991年から徐々に開放され始めると、アンバサダーやパドミニを買う人はいなくなり、パドミニは生産中止となり、アンバサダーはわずかに官需(伝統的に政府関係者がアンバサダーに乗る傾向がある)に頼って存続と言う状況だ。License Raj時代の冷蔵庫のベストセラーはインドの不安定な電力事情に対応したGodrejゴッドレジの製品だったが、今はキチンとインド市場対応商品を出している韓国のLG電子の冷蔵庫だ。

そのインドと日本の産業の大きな違いと言えば、日本の場合多くの産業が積極的に輸出を指向したことと、インドの場合東南アジアや東アフリカ、更には英米に散らばる印僑のおかげで産業政策に「漏れ」が発生したという点ではないかと思っている。

説明しよう。インドの産業人の「インド市場には十分だ」という言葉の背景には「無理に海外に打って出ずとも輸入商品から保護されているインド市場で販売していれば十分な利益を確保できるのであえて輸出までしなくてもよい」と言う事情がある。そのようにして産業保護で発生した利益の一部は国内で再投資されることはなく、世界各地に張り巡らされた印僑ネットワーク等を通じて海外に蓄積されたのだ。


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