国論分裂〓イランとパキスタンの場合
2009-06-24


先週は出張でイギリスにいた。たまたま金曜(6/19)の午前中は業務がなかったのでホテルの部屋でBBCのニュースチャネルを見ていたら、テヘランからイラン最高指導者のハメネイ師の金曜礼拝における演説を同時通訳つきで延々と生中継していた。興味深かったのはハメネイ師が演説の前半は詩的な韻をふんだ美しいペルシャ語でイスラムの大義などいわば大所高所に立った内容のことを語っていたのが、後半、現在のイランの政局を語る際には抑揚のない普通会話体のペルシャ語へと突然語調を変化させたことだ。イランはフェルドウスィー、ハァフェーズ、サーアディー、オマール・ハイヤームといった世界の文学史を飾る詩人を生み出した国であり、詩の暗誦は国民必須の教養だ。韻をふんだペルシャ語で語られるイランの詩は、ペルシャ語を知らない人間の耳にも美しく響く。何がハメネイ師をしてその美しい言葉を捨て、街中で語られるペルシャ語で現在の政局を語らせしめたのか?

今回のイランの選挙で開票過程で操作が行われたことは政権自身も認めている。私は選挙結果について、操作が行われていなくてもアハマディネジャド氏がムサヴィ氏より多くの票を得票していたとみている。政権側はそもそも操作などする必要がなかったのだ。しかし政権側はあえて禁じ手を使った。政権側が「選挙結果次第では現在のイスラム革命体制が持たないので、そのリスクは完全に封止する」という危機意識に駆られてこの行動に出たのであろう。イスラム革命体制は30年を経過して、その体制によって利益を得る厚い層を築きあげている。その層の持つ保身の意識こそが、開票を操作させ、彼らの代表であるハメネイ師に美しい言葉を捨てさせ、普段の言葉で外国の内政干渉や、体制内の腐敗や、1,100万の票差は多少開票操作の影響を考慮しても大勢を変えないことを語らせしめたのだ。

私は3月13日に書いたブログ「イラン革命30周年」で以下のように指摘した。
[URL]

<もう一点指摘しておかねばならないことはシャーの支持基盤であった比較的宗教心が薄く親欧米の「都市の中間層」と、より敬虔かつ保守的な「その他の国民」との間の落差である。その他の国民のほうが都市の中間層より数において勝り、また彼らが現在の政治体制の支持基盤であるため、現在の政治体制は一見磐石である。この結果都市の中間層の間には不満が鬱積し、海外へ移住したり、政府や聖職者によって管理されていない消費や不動産投資、つまりは非生産財投資に向かうという弊害をもたらしている。>

開票操作は人口800万の首都テヘランを始めとするイランの大都市の中産階級を中心とした人々の不満に火をつけ、彼らを中心とした大衆行動を発生させ、単なるアハマディネジャド氏に対する体制内の対抗馬であったムサヴィ氏を体制批判の象徴へと昇華させたのだ。

私の認識と異なっていた部分はこの不満を鬱積させていた層の厚さだ。開票干渉を契機としてこの巨大な不満層の存在が確認され、国論が大きく二つに分裂したイランでは、政府が強権発動をすれば分裂は深まりこそすれ修復は不可能になると見たほうが良い。イランで次回この種の大衆行動が発生し、政府側が敗北すれば、先鋭化した国論の亀裂はイランを再び革命とその後の前体制関係者のパージ、そして体制変換に伴う混乱に巻き込むことになるだろう。革命後のイランでは国民の一部しか新体制の支持層がいない以上、反体制とみなされる分子に対するパージは勢い苛烈になる。次なるイラン革命はまたもや国民の一部を置き去りにした「未完の革命」で終わるのではなかろうか?


続きを読む

[国際事情]
[インド&周辺国]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット