Our product is good enough for our market(我々の製品はこの市場には十分なものだ)
2009-06-09


「日僑」のいなかった日本の場合、お金が余ってもお金は国内以外行き場がないので、政府の指導もあって国内の設備投資にまわった。行き場のないお金であったから、低利だった。日本の産業が製造する商品の品質が輸出市場をメルクマールにして品質向上に励んだから日本製品の品質が今日のレベルに到達したことは疑うらくもないところだが、そのような行動を可能にしたのは相対的に低利の資金が発展途上国にしてはずいぶん潤沢に使えたからだということを忘れてはならない。余談になるが日本の産業の利益率が伝統的に低い一因は安い金利のお金をジャブジャブ使うその頃からのクセが抜けないからだ。

話をインドに戻す。日本の産業がいまだに大した利益が見込めないことにお金を使う体質から抜けきっていないように、インドの工業はいまだに輸入規制された市場の中で世界的な競争にさらされない時代の体質から抜けきっていない感がある。

1980年代の始めごろインド国内を旅行すると、列車の予約にしても飛行機の予約にしても、手数はかかるがそれなりに出来上がったシステムが存在していた。例えば飛行機の予約をしに当時唯一国内線を運航していた国営のIndian Airlinesの事務所に行くと、窓口の女性は予約簿を管理している部署に電話をかけ席の有無を確認し、空きがあれば予約簿に私の名前を記入させ、私の航空券には予約確認のシールを貼りそのシールに印を押していた。飛行機が満杯だと予約簿のウェーティングの欄に私の名前が記載されていた。地方の空港では予約簿は飛行機が飛ぶ数時間前に市内の事務所から空港に持参され、搭乗券の発行や、ウェーティングの席の割り当てが行われていた。一日に数便しか飛行機が飛ばない時代なら、手間がかかるがこれで十分だったのだ。しかし便数も増え競争が激化した時代にはこれでは対応できない。事実インドの航空行政が規制緩和され、民間航空会社が参入してくるとIndian Airlinesは赤字に転落した。

安定した社会では現状維持ですむが、安定が継続することはない。競争による切磋琢磨と向上は状況が不安定になったときのための備えだ。

世界的に有名なインドのIT産業や、豊富な英語人口をつかったコールセンター産業(business process outsourcing industryとかBPO industryと総称される。和訳すれば業務受託産業?)はlicense Rajの緩和とともに発達し、当初より海外からの業務の受注を指向していた産業なので、国際級のレベルに到達できたのだ。

しかし、絶えず国際的に競争力のある製品やサービスを作り続け、消費者の需要を刺激し続けることが果たして長い目で見てよいことなのだろうか?このようなシステムからは必要な製品やサービスが生み出される反面、不要な製品やサービスも大量に生み出される。このように大量の不要な製品やサービスが製造されることは許容され続けるのだろうか?

インドの国父ガンジーは、地方に分散された地場の需要にマッチした小規模な産業を興すことこそ正しい発展の道だと考えていた。絶えず国際的に競争力のある製品やサービスを作り続け、消費者の需要を刺激し続けることはその教えに反する行為だ。インドの産業人と話していると、声高に自分のことを語ることがあっても、その陰になんとなくある種の「後ろめたさ」のようなものを伴っていることを感じることがある。その「後ろめたさ」の原因のひとつは「自分たちの行動とガンジーの志向したものの間の矛盾の自覚」があるのではなかろうか。

インドが更に発展してゆく過程でガンジーの志向したものをその中でどのように取り扱ってゆくのかは、永遠の課題だろう。

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