3月25日にギリシャの債権問題に関するユーロ圏諸国の合意ができてからのヨーロッパの論調を追うと、「問題の先送りをしただけで何も解決になっていない」といったいわば「辛目」の趣旨の論調が目立つ。欧米の契約思想には「すべてのケースを想定し、それに対応した合意をもとに契約を結ぶ」という発想が存在する。日本の契約書に良くある
<本契約に定めのない事項については、相互に信義誠実の原則をもって対処し、解決を図るものとする>
という条項は、欧米の弁護士に見せれば目をシロクロさせて「協議することを合意するのは契約ではない」と一笑に付されるものだ。
今回のユーロ件諸国の合意はこの彼らの感覚と異なる、いわば日本的な合意だ。この点と、ギリシャがユーロを通貨として採用しているので通常の債務不履行の場合に比べ対処法が限られると見られることとあいまって、ヨーロッパの大方の論調が厳しいのだろうと考えられる。
確かに合意内容は1ページ程度と極めて短く、その内容にしたところで
「EUの政策はこう作られる--ギリシャ経済危機への対処をめぐって」
[URL]
で紹介したように「いざとなれば関係各国の全員一致が必要」と「本当にこんなことで問題が起きたときに大丈夫?」と思わせるものだ。
しかし国が債務不履行に陥りそうになった場合、またそれがEUの一員であるギリシャのような国である場合、多国間協議に基づく債務の繰り延べなどさまざまな手段が繰り出され、それなりの時間をかけて「何とかする」のが常だ。企業であっても、大企業が債務不履行状態になれば、直近の日本航空の例を見るまでもなく、関係者があれやこれやと協議を続け時間をかけて「何とかする」。そしてこの「何とかする」場合、債権者どうしの不公平を避けるため、債権者全員一致が原則であることも忘れてはならない(だからまとまるのに時間がかかるし、まとめ役にはそれなりの力量が必要だ)。金融の世界の問題処理はコトが大がかりになればなるほどこのような全員一致の合意によるパッチワーク(という表現を使うと金融関係者はいやな顔をするだろうが)で成り立っている。
また、今日のEU(欧州連合)にいたる、ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)、EEC(欧州経済共同体)、EC(欧州共同体)、の歴史をふり返れば、まさに関係各国の全員一致の合意形成の歴史であったことがわかる。
今回のユーロ圏諸国のギリシャの債権問題に関する合意は、このような一見迂遠なヨーロッパの合意形成のプロセスの一つとして理解すると十分納得が行くのではなかろうか。
識者の多くが指摘するように、ギリシャが再度債務不履行の可能性に直面することも十分ありうるだろう。しかしEU には都度それに対処するメカニズムが存在しているということを認識しておく必要がある。
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