リーマンブラザース倒産一周年
2009-09-19


9月15日は投資銀行Lehman Brothersリーマン・ブラザースの倒産一周年だった。さすがにたった一年前の、今回の金融危機の最も象徴的な出来事だけのことはある。第二次世界大戦開戦70周年は日本ではほとんど話題にならなかったが、海外のメディアはもちろん、サラリーマンの私が毎日読む日本経済新聞もリーマン倒産1周年のほうはアレコレ取上げている。本もあれこれ出揃った。

今回の金融危機について私の結論をまず書いておこう。

個々人のリスクに対する許容度の差があるにせよ、人間はリスクを好む動物だ。従い人間社会は絶えず過大なリスクを背負いこむ可能性を抱えている。従い金融危機は今後とも起こりうる。

しかし、危機の規模はコントロール可能だ。コントロールの手法には例えば今度のピッツバーグG20でEUが提案予定の高リスクの金融商品を扱う金融機関関係者の報酬の制限や、ごく最近英国のFinancial Services Authority(FSA。金融サービス機構)長官のターナー卿やフランスのクシュネル外務大臣が提唱している金融取引税の課税があると思う。しかしこれらはいわば対症療法で、根本的な対策ではない。

「根本的な対策」とは言うは易く実現が非常に困難な

1. 実体経済の数倍にまで拡大した金融商品市場の規模の縮小と、

2. つい最近フランス政府のCommission on the Measurement of Economic Performance and Social Progress(経済的な成果と社会発展の計測に関する調査会)が発表した報告が指向している、経済的な成果の評価に関する価値体系の変換

だと思う。

私の結論を述べたところでリーマン倒産1周年にちなんで私の見解をもう少し詳しく説明してみよう。

☆ 何故金融危機が起きたのか?

前述したように人間はリスクを追う性向のある動物だ。「生涯バクチをしたことがない」と言う人でも、「コレかアレか」と言う選択肢に向かった際、「これまでやっていたこととは違うが、コチラを試してみよう」と言う選択をした経験があるはずだ。うまくすれば今までやってきたことより大きな成果をあげられるという目論見に賭けるわけだ。試した結果の多くは失敗に終わるが、成功例の中から発展が生まれる。人間社会の発展はこの「ある可能性に賭ける」と言う行為なくしては考えられない。

ただ、そうやって追い求める「ある可能性」は本質的には「より安全な可能性」に比べ達成が困難で、それを追い求めることには非常なリスクを伴う。「ある可能性」が遠大な目標であればあるほどリスクも高い。今回の世界金融危機は金融機関が過大な利益を求めて過大なリスクを負った結果であるという定性的な説明自体は間違いない。

☆ 過大とはどれくらいのことをいうのか?

「何が過大か」という定量的な問題に対する解答は非常に困難だ。いろいろな計算はできるが、その計算自体ブラック・スワンの状況下ではまったく外れる[註 1]。後述する1998年のLTCM破綻の救済融資団に加わった米国の証券会社Merrill LynchメリルリンチがLTCM破綻処理後のアニュアル・レポートで

<mathematical risk models "may provide a greater sense of security than warranted; therefore, reliance on these models should be limited.”
[数学的なリスクモデルは]実態以上の安心感を与える可能性があるので、これらのモデルへの依存は限定的であるべきである>

と書いていたといわれるが、当時から、否それ以前から、冷静に考えればものごと計算どおりに行かないことは誰でもわかっていたのだ。我々は「どこに定量的な線を引くかということ自体一種のバクチなのだ」と言うことをまず理解しておかねばならない。


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