第二次世界大戦開戦70周年--なかなか許してくれない国
2009-09-09


日中関係や日韓関係の修復には根気と、日本側の関係者の継続的な自制が必要だ。我々は日本のアジアとの関係修復には非自民党の首相であった細川護熙氏の発言や、社会党出身の村山富市首相(当時)が1995年8月15日に行ったいわゆる村山談話が大きく役立っていることを認識しなくてはならない[註 2]。今回の政権交代により、この自制がより確固たるものとなることに期待したい。

[註 2: 例えば東南アジアのご意見番リー・クアンユー元シンガポール首相は、その自叙伝The Singapore Story 1965-2000(邦題:「リー・クアンユー回顧録<下>」)で、いかに歴代の自民党の首相が「謝罪」を回避してきたかについて説明した末、
<One outcome of this break in the LDP hold of government was that Morihito Hosokawa
became the first prime minister to admit in unambiguous language Japan’s aggression in
World War II and apologise for the sufferings caused. He did not have the LDP mindset, to
hang tough over their war crimes. This unqualified apology came only after a
non-mainstream party leader became prime minister.

The following year, Prime Minister Tomiichi Murayama of the Social Democratic Party of
Japan also apologized, and did so to each Asean leader in turn during his visits to
Asean countries. (中略) On the 50th anniversary of the end of the war (1995), he
expressed once again his feelings of deep remorse and his heartfelt apology.

自民党が権力を手放したことによるひとつの結果が、細川護熙が第二次世界大戦における日本の侵略を認め、その結果の被害に対して明解な謝罪をした最初の首相となったことだ。彼は日本の戦争犯罪に対して硬直的な態度をとる自民党の考えを持っていなかった。このような無条件の謝罪は、非主流の政党の党首が首相になってようやく実現したことだ。

翌年社会党出身の村山富一首相もまた謝罪を行ったが、彼はアセアン諸国を訪問した際にはアセアン各国の指導者に対し個別に謝罪している。(中略)大戦終了50周年の際(1995年)、彼は再度深い自責の念と心からの謝罪を表明した。[ブログ子訳]>

と言う評価をしている。]

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