インドの財閥--タタ財閥
2009-08-21


アンバニ一族のことを書いたついでに、私が最初にインド・ビジネスに関与した頃「インドの大企業」とか「財閥」の筆頭格であったTata(タタ)とBirla(ビルラ)について書こうと思う。まずタタから始めよう。

タタ財閥としての連結売上は2007年度に625億ドル(約6.2兆円。2008年度は未発表)。傘下企業には例えば後述のTata Steel(製鉄)や英国のジャガー買収で有名になったTata Motors(自動車)、更にはソフトウェア開発で世界的に有名なTata Consultancy Services(TCS)などがある。

Tata Steelの2008年度売上は1.5兆ルピー、純利益は485億ルピー(それぞれ2.8兆円と911億円。ちなみに同期の新日鉄は4.8兆円と1550億円)。

Tata Motorsの2007年度売上(2008年度連結の数字は未公表のため)は4034億ルピー、純利益は217億ルピー(それぞれ1兆円と540億円。ちなみに同期のスバルは1.6兆円と185億。それにしてもスバル儲かってませんね)。Tata Motorsの2008年度連結決算が未開示なのは、2008年6月に買収したフォードのジャガー・ローバー事業の評価をどう開示情報に表示するのかモメているのかもしれない。

TCSの2008年度の売上は2195億ルピー、純利益は468億ルピー(それぞれ4125億円、879億円。ちなみに同期の日本の情報サービルプロバイダーの雄CSKの対応する部門の売上が1908億円で営業利益が88億円、これではまるで勝負にならない)。

脱線するが、タタにしてもビルラにしても、連邦経営とでもいうべき、傘下各企業の経営の自由度が比較的高い経営をしている。この点はすべての事業を傘下におさめる方向をとっているムケシュ・アンバニとは大いに異なる点だ。

タタ一族はムンバイを中心に住むParsi(パルシー)だ。パルシーとはPars(パルス)人の意味でパルスはイランの別称だ。この呼称のいわれはパルシーが元々イランからアラブ人が回教を持ってイランに攻め込んできた際、難を逃れてインドに逃れた人々移ってきた人たちで、古いイランの宗教である拝火教を信仰しているからだ。インドに住み着いた時期については諸説あるがイランに回教がもたらされたのが7世紀であったことから判断すると、8世紀頃にインドに移ってきたという説が妥当であろう。

パルシー人口はインドの人口の約1万分の1の、たった約10万人だ。イランからやってきて千数百年してもまだこれくらいしかいないという理由の背景には、パルシーと認められるためにはパルシーの子供である必要があるため比較的近親婚が多いためだとされている。しかしこの結果パルシーの血統は概ね守られ、いまだにパルシーと言うとイラン人のような白い肌の人が多い。「概ね」と書いたのには理由があって、パルシーの中には肌の色が濃くおよそイラン人を祖先とするとは考えられない人もいるので、歴史上のどこかで彼らを迎えたインドの血が混じっていることは間違いない。ちなみにイランの拝火教徒も基本的には拝火教徒どうしでしか結婚しないし、ユダヤ人のうちで伝統的を守る人々は血統を守ることには熱心だ。

パルシーはインドの植民地時代にいち早く西欧的な考え方や統治の手法に順応した民族で、その関係でインドの民族資本としては比較的早く頭角を現した。そのパルシーの経営する企業群の中でタタはもっとも成功した部類だ。製鉄業や鉄道車両の製造などの重工業を創業し産業資本の礎を築いた。今は国営となっているAir India(インド航空)も元はと言えばタタ財閥が始めた事業だ。このようにタタ財閥はインドの工業化を引っ張ってきたような側面があり、そのような行動をとって来た背景には「インドかくあるべし」という一種のビジョンがあるようだ。

このビジョンの存在はタタ財閥の開明的な経営でも知られる。8時間労働制を1912年に宗主国英国より早く実施したとか、1920年に企業年金制度を作ったとか、パルシー以外の民族を経営幹部に登用しているとか(これは一面、パルシーの絶対数が少ないからでもあろう)言った点などがこの側面を示している。


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